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水沢なお より

21歳の詩人の日記

100エーカーの森

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三連休は岩手と青森へ行ってきました。

そのときの話はまたするとして、いまはすごく悲しいような寂しいような、

なにか見つからないことを知っている見つからないものを探しているような気持ちになっている。見つからないことを知っていながら見つからないものを探している。きもちはぽっかりと穏やかで、そのうち何が見つからないのか何を探しているのかさえ忘れてしまいそうになる。

 

三日間、両親と過ごしたからか、またこどもの頃に帰りたくなっている。

 

子供の頃の私にあったのは、万能感というよりも永遠だった。

日曜日の夕方、こたつの中で居眠りして、目が覚めると身体中が皮の爆ぜた焼き茄子みたいになっている。篭った熱さに襲われて、身体が置いてきぼりになり、私の意識だけが私に代わっているのだ。姉も母も、居間に一つしか無い大きなテレビで父親キングダムハーツをやっているのを見ている。瞬間、時間が失われているような感覚がする。

当時部屋の時計はこわれていて、当然ケータイも持っていないから、時間を判断するものといえばテレビだった。だからテレビゲームの電源を切った瞬間、笑点がテレビに写ったりすると、もうこんな時間か、と思うのだ。

テレビが時間を支配する力を持っていて、それを支配する父が私の家の時間を支配している。

 

(ゲームの話をすると、当時キングダムハーツに対して畏怖があった。母親が急に「キングダムハーツ」の話をしだして、ポケモンしか知らない私は異世界の話をされている気分だった。ゲーム屋でもずっと高いままで、でも親がずっとその「キングダムハーツ」を欲しがっている。親の言うことにはなによりの信頼と重大さがあって、すごい特別なものなんだ、と思った記憶がある。だから自分ではプレイできなかったし、でもプレイ自体はしたかったから唯一ハートレスがでてこない100エーカーの森の中でだけ遊んでいた。だからプレイ方法とかは全然わからないんだけど、シーンの印象は強くこびりついている。そしてたぶん、なにかへの目覚めのきっかけでもあって、全体的にぞわぞわしていたし、特にリクが闇堕ちすることに異様にドキドキしていたような気がする。でも結局売ってしまった。)

 

今思うと、子供時代って、旅行している感覚に近いものがあったような気がする。

というより、成人した今、子供の頃の記憶を呼び覚まそうとすると、旅行している時の記憶として再生されてしまうのだ。

それは幼い私がいた場所が”遠いどこか”だからだと思う。

電車でもバスでも車でも、飛行機でも行けない場所だ。

長い間ずっとそこにいて、それこそ旅に出る気持ちで家を出て、東京にきたのにね。